日本における武田流中村派の歴史

中村宗家によって引用された武田流の言い伝えがあります:
 時の12代 景行 天皇の27年に熊襲の反乱が起こりました。その結果景行 天皇の皇子日本武尊が反乱の征伐に送られました。その途中筑前の神代の滝で"禊の行"をとりました。そこで彼は瀧の中で岩に膝をつき、両腕を広げました。 そして、魂の力に満たされ、体中の力が指先に集められました。天に向かって何度か息を吹きかけました。そして、手を下ろして腕を力強く突き出しました。そ れから彼はこの動きを身につけ、反乱を抑えに行ったといわれています。また、女性に変装して敵のあじとに入り込み、熊襲の寝ている場所にもぐりこみまし た。熊襲が攻撃してきた時、彼は腕を広げ、魂の力に満たされました。刀をもぎ取って、熊襲を地面に投げつけました。この相手の腕を取って、相手を投げると いう技こそが合気の始まりだとされています。そのあと、彼はこれを入念に学び、その技術を一子武田王命に宮廷守護 の武術として伝えました。

  武田王命は武田流の最初の先祖だとみなされています。しかし、当時の歴史ではまだ武田流とは呼ばれていませんでした。後に新羅三郎源義光が、実戦をもとに 研究改 良しました。それ以来、この流派は源という名と深く関係しています。その名前は中村宗家があげられた流派の中の名前に見つけることができます。

 

武 田家の記録によると、その技術は義光の第ニ子義清(1075年から1149年)が甲斐に武田姓を名乗った折、家伝武術として授けられたといわれています。 それゆえ、彼が最初の武田流中村派宗家とみなされています。そして、武田信虎宗家(徳秀斎)が武田流に留まるまで続きました。
 1570年彼はその知識を彼の9番目の息子である武田信友(翁斎)に伝授しました。武田信虎はその約10年後、その子で日本で最も有名な武士の一人である武田信玄に 追いつめられた時に、駿河の今川義元を頼りました。
  その一方で、武田信友は彼の長男である武田勝千代に自分の知識を伝授しました。その後、武田勝千代は九州に渡りました。なぜなら彼は武田信玄に殺される恐 れがあったからです。そして、筑前黒田家の食客となり、同地に秘伝を伝え、密か に武田流は継承されてきたものと言われています。
20世紀になって昭和の時代になると、大庭一翁(本名は大庭たけゆき)が第43世宗家となり公に武田流を教え始めました。それまでは密かに教えられていたのです。

第2次世界大戦のあと、大庭一翁宗家は明治大学を卒業して、外務省の顧問となりました。また彼は九鬼神流、方円流、神刀流の免許を持っていました。



武田流系譜

創始者 新羅三郎源義光

1.武田冠者義清
2.武田黒源太清光
3.武田太郎信義
4.武田五郎信光
5.武田小太郎信政
6.武田信時
7.武田信長
8.武田政綱
9.武田信家
10.武田時綱
11.武田弥六信宗
12.武田信武
13.武田刑部大輔信成
14.武田氏信
15.武田修理亮信春
16.武田元信
17.武田太郎信満
18.武田太郎信重
19.武田弥三郎信守
20.武田信輔
21.武田元常
22.武田信昌
23.武田五郎信綱
24.武田信虎徳秀斎
25.武田上野介信友翁斎
26.武田勝千代
27.武田武司翁信勝
28.武田信隆
29.武田隆義
30.武田二郎清方
31.武田五郎信秋
32.武田光春
33.武田信忠久幹
34.武田照代光月尼
35.武田久世光伸
36.武田隆澄
37.武田正勝
38.武田光政
39.武田正昭
40.武田守之助翁渥
41.武田忠勝翁堂
42.中村合気斎翁吉
43.大庭一翁
44.中村久

参考資料:武芸流派大辞典 534-535ページ
昭和54年(1979年)