ヴァルター・シュヴェンク

the young Sensei Schwenk mid 90ties武田流中村派における私の経歴は、武田流中村派のヨーロッパの歴史と密接な関係があります。
1990年代の初め、私はオーストリアで武田流 中村派を学び始めました。私は何の武術の知識もない、まったくの初心者でした。そして、すべてに興味を覚えました。私にとって楽しくて仕方がありませんで した。初めて袴を着たその当時のことは絶対に忘れないでしょう。まるで侍になったような感じで、本当に魅了されてしまいました。
ヨーロッパでのセミナーがあった1993年に初めて中村宗家とその他の日本の師匠、森田、豊島、松下師範にお会いすることができました。そのとき私は本当に感無量でした。彼らはとてもエレガントで、すばらしい雰囲気を持った人たちでした。

そ の時、わたしはこの人たちと会うのはこれが最後ではないと確信していました。これらの師匠たちから教わることを、すでに何か特権のように感じていました。 この時のモチベーションは今も変りません。このセミナーの後、私は自分の人生を武田流中村のために捧げようと決心しました。
その後私は稽古の頻度 を、週3回から週5回に引き上げました。そして、日本の師匠たちによって開かれるセミナーに訪れるのに熱中しました。なぜそのように熱中できたのかという と、その背景は秘密にはしたくありませんが、正直なところ、なぜかと言うのは簡単ではありません。しいて言えば、ただその必要があったと感じたからです。

稽 古を始めてから6年目、私は稽古の頻度を更に上げ、週に7回、毎日2時間稽古しました。たいていは一人で行いました。このように稽古の量が増えたことによ り、普段の生活はそれが中心になっていきました。それ以来、孤独さを感じるようになりました。私の回りで、私のような生き方を理解できる人はもはや誰もい ませんでした。彼らはいつも私に言いました。「どうして君はそんなに悩んでいるのか。」と。それに対して当時、私は何も答えることができませんでした。そ して、突然孤独感が増し、ジレンマに陥ってしまいました。武田流中村派も自分の人生も投げ出してしまいたいと思うようになってしまいました。

ど うすればいいか。私は何か間違ったことをしていたのではないかと感じていました。私は哲学や禅に傾倒していきました。この時まで、それについて近づこうat a show end of 90tiesと はしていませんでした。稽古の時には何の価値もないものだと思い、おろそかにしていました。しかし、読んでみて大変驚きました。禅は日本の心とも言うべき もので、多くの侍が必死に禅の訓練をしていたのだ言うこと、また、武術において大変重要な要素だということを知りました。そして、かつての師匠の下で黙想 などに励みました。徐々に、このことが自分に欠けていたものなのだと感じるようになりました。

なぜ誰もわたしにその事を教えてくれなかったのか、なぜ何も言ってくれなかったのか、私には理解できませんでした。禅の哲学が武田流中村派において重要だということを。私は自問自答し、葛藤しました。それに対し誰も私に答えを与えてはくれませんでした。

現 在、稽古を始めてから15年以上になります。その間稽古し続けることができたことに感謝します。その間に私は中村宗家のアシスタントに任命されました。そ して、ヨーロッパの先生たちと共にヨーロッパ中を回り、多くのセミナーをボランティアで開催しました。しかし、常に私の中には哲学に対する疑問がありまし た。そして、いつも考えたのですが、答えは見つからないままでした。

 私はますます自問自答し、武田流中村派にいる資格はないのではない か、また、首になってしまうのではないかと、感じていました。13年の月日が流れ、私はヨーロッパの組織から離れました。そこで私は自分の道場を作りまじ めました。私は一人で、生徒はいませんでしたが、自分の道場を持つという夢がかないました。哲学、毎日の稽古、それも自分の道場で(なんとすばらしいこと でしょう。)。そして自分のやってきたことが正しいのだということに確信を持っていました。道場を開いた2年後、私は日本へ行きました。その時、興奮で心 臓がどきどきしていました。

2006 at Sokes house2006 年の春が来ました。中村宗家は私を彼の家に招いて下さいました。それはとてもすばらしい夜でした。森田師範と豊島師範も私と会い、そして話をするためにわ ざわざ来て下さいました。私はそこで彼らに、なぜ私が日本へ来るという決心をしたかを説明しました。その夜は私の人生にとって大変重要な一日となりまし た。
中村宗家は1993年当時、私の瞳の中に炎を見たと私におっしゃいました。また、豊島師範は、私が当時すでに自分の道場を持ちたいと言ってい て、その目は狩人のようだったとおっしゃいました。そんなことは自分ではすっかり忘れていました。私は自分が哲学をおろそかにしていたため、もはやこれ以 上ヨーロッパで教えることは不可能だったと説明しました。それに対し、中村宗家は激しい勢いで説明してくださいました。哲学は日本と武田流中村派を理解す る上で基本となるものだということでした。これらは内面深くにあるべきものなのです。規律や一生懸命さ、誠実さはその哲学から湧き出てくるものです。本物 になるということは熟した果実に例えられます。

また、彼は「あなたが生徒と共に汗を流すときのみ、彼らはあなたのことを信じてくれるんで すよ。」とおっしゃいました。つまり、最後まであきらめずに、一生懸命頑張って教えなければならないということなのです。またその夜、中村宗家、森田師 範、豊島師範はこの15年間のヨーロッパの状況を話してくださいました。それを聞いて私はショックを受けたと同時に、深く感動しました。

 
私 はただ中村宗家たちのそばに座って聞くだけでしたが、彼らから私に対して不遜な言葉や否定的な言葉は一切ありませんでした。彼らの言葉には誠実さや深い思 いやりがあふれていました。そして、私は始めて理解できたような気持ちになりました。やっと彼らに受け入れられたのだと思いました。私の歩んできた道の り、決心、そして13年間の苦労は今報われたのだと思いました。私は幸せでした。

その何週か後、私はもう一度中村宗家と森田師範、豊島師 範から講義を受けました。それは何ともいえないほどすばらしいもので、本物の教えを受け感動しました。2006年12月、私は始めて日本における大会に参 加しました。居合い術でした。私はその抜刀試合に参加しました。試合ではその正確さと速さが競われます。私は当時日本国内の大会に参加した最初のヨーロッ パ出身の参加者でした。結果は30人の参加者のうち4番目の成績を残すことができました。

2007年1月、私は中村宗家から彼の流派を代表するための資格を与えられました。その時点で私の人生は再び武田流中村派と共に歩みだすこととなったのです。

そして、中村宗家は私と以下の約束をしてくださいました。

1.Budo Institut の会員は日本で開催される試験と試合に参加できること

2.Budo Institut の会員は流派が本物であることを証明するために、日本の師匠たちの前、もしくはヨーロッパで昇段試験を受けることができること

3.2年ごとに私の道場から選ばれた会員が日本で行われる大会に参加しるために私と共に来日し、また日本の師匠たちがウィーンに来ること

with the masters

それによってヨーロッパにおいても本当の教えが教授できることになりました。これは私たちにとってすばらしい第一歩で、中村宗家もこのことについて大変喜んでおられます。

2007年5月私は居合い術において5段の試験に挑みました。その時、試験は中村宗家によって1960年代に建てられた本部道場で行われました。そして、そこで私は、自分がその試験に挑んだ最初のヨーロッパ出身の人間だということを再び知らされました。中村宗家のもとを去ったヨーロッパの先生でそのような試験に挑んだ人はかつて誰もいませんでした。

年に少なくとも2回日本に滞在することによって、武田流中村派をより深く理解し、またそれをヨーロッパに広めることができると思っています。